鯱っ子日記6

どうもこんにちは。こんばんは。おはようございます。4年生の十五郎丸と申します。

来週で鯱を卒業するという実感が全く湧かない今日この頃です。今思えばあっという間の4年間でした。

 

今回は、自分の選択の軸について、大学の4年間を振り返りながら話そうかなと思います。

 

まずは1年生、はじめて「踊り」というものに触れました。正直、サークルはどこでも良かったです。なので、とりあえず色々なサークルの新歓に行きまくりました。変なパリピのサークルみたいな新歓に行ってしまい、The 大学生 の雰囲気に圧倒されたのを今でも覚えています。ただ、どういった大学生活を送るか、それはざっくりと決めていました。

話は変わりますが、僕は高校の3年間、ラグビー部に所属していました。自分の高校は、花園と呼ばれる全国大会(野球でいう甲子園)を目指し、日々練習をしていました。練習の中でよく監督が口にしていた「常に上を目指せ」「迷ったらキツイ方を選べ」という言葉が今になっても自分の選択の軸となっています。上を目指すということは高い目標をもってそれに向かって努力する、という意味で僕は捉えています。二つ目のキツイ方を選ぶというのは言い換えると敢えて困難な道を選ぶということになります。難しい事に挑戦する事で、それが自分自身の成長に繋がる為であるからです。

僕はこの2つの軸を持って大学生活を過ごそうと決めていました。どんな事でもいいから、上を目指し、ハードワークをする大学生になろう、と。そこで出会ったのが名古屋学生チーム『鯱』でした。まず、演舞に圧倒されました。そして、練習を見て、鯱っこの皆さんの熱さを感じました。僕は、ここなら、高みを目指し、ハードワークしながら自己成長が出来るに違いないと確信しました。そこで、名古屋学生チーム『鯱』に入ることを決めました。(こんなこと言っていますが、入った理由の一つに女の子が沢山いたからというのがある事は十五郎丸の体裁的に伏せておきましょう。←6年間男子校でした。)

そして、2年生では踊りの高みを目指そうと振り班に所属しました。振り班だった1年間で、踊りや体の動かし方の事ではなく、大人数に対しての話し方、伝え方を学びました。そして振り班を終えて、練習の中に入り、改めて踊る事やみんなで隊列練をする事の楽しさを感じました。

3年生では、副代表という役職に就きました。この一年では、チームとは何か、リーダーとは、メンバーがモチベーションを保つには、などチームの事を沢山考え、チームのために動いた年でした。また、たくさんの人と関わらせて頂き、沢山の考え方を知り、そういった部分でも大きく成長した一年でした。

4年生、ここでは生活が大きく変わりました。大人数で集まれなくなり、マスクなしでは出歩く事が出来なくなってしまいました。この一年では、いままでの当たり前が無くなりました。それによって、練習、お祭りがある事、集まれる仲間がいるという事がどれだけ貴重なのかを実感しました。当たり前というワードで言えば、最近キャンプにハマりまして、月1.2ペースぐらいで行っております。そこで、明かりや、屋根、壁、ガスなどのない生活をしてから家に帰ると、人間ってすげえなぁってなります。

 

すみません。長々と話してしまいました。

つまり何が言いたいのかというと、選択を迫られた時に自分の軸や芯をしっかり持つ事が大事であるという事です。その選択は、大きさは関係ありません。僕であれば、「上を目指す」や「辛い選択をする」です。例を挙げるとすると、家系ラーメンと二郎系ラーメンかどちらかの選択を迫られた時に食べた後に辛い二郎系を選択するということやコンビニのおにぎりを迷った時に上の段の物を選ぶなどです。冗談はさておき、自分なりの軸や芯はなんでもいいです。自分が将来どんな人になりたいか、どんな事をしていたいか、先を見る事でどんな事でも学びにする事ができ、自分の目標の達成が加速します。

 

まだ、学生生活が残っている後輩たちには、将来を見据えた選択をして欲しいなと思います。僕も、振り班や副代表だった時は目の前の事しか見れずに視野が狭くなってしまったが為に失敗してしまった事が多くありました。もっと、先を見て客観的に物事を捉えるべきだったなぁと後悔しています。今回の鯱っ子日記が、後輩の皆さんの就職活動や鯱での活動のヒントになればいいなぁと思います。

 

普段常にふざけている自分ではありますが、今回はまじめに話させて頂きました。とても学びがあった4年間でした。本当に関わってきたみなさんありがとうございました。そして、僕の鯱っ子日記を読んでいただき、ありがとうございました。また会いましょう。